2023年放送のTBS日曜劇場「VIVANT」への出演で幅広い層から注目を集めた、歌舞伎役者の市川猿弥(いちかわえんや)さん。
二代目市川猿弥さんは1967年8月15日に東京都文京区小石川で生まれ、屋号は澤瀉屋(おもだかや)です。
そんな市川猿弥さんの家系図について、「一般家庭出身なのに澤瀉屋一門?」と気になる方も多いのではないでしょうか。
また市川猿弥さんの血縁関係や歌舞伎界での立ち位置についても、興味が湧きますよね。
そこで今回のこの記事では、
市川猿弥さんの家系図が話題!
市川猿弥さんの血縁関係と歌舞伎界での立ち位置は?
主にこの2つに迫っていきます。
それでは、早速本題に入っていきましょう!
市川猿弥の家系図が話題?

出典:BAILA(バイラ)
市川猿弥さんの家系図が、ファンの間で話題となっています。
ここでは、その家系図についてリサーチしていきます!
市川猿弥さんは一般家庭の出身で、三代目市川猿之助さんと血縁関係があるわけではなく、市川中車(いちかわちゅうしゃ)さんや市川團子(いちかわだんこ)さんとも血のつながりはありません。
製本業を営む家庭に生まれ、3歳の頃から児童劇団で演劇を始めたという異色の経歴の持ち主です。
その後、芸の縁あって澤瀉屋一門に加わり、現在にいたっています。
市川猿弥さんは3歳から児童劇団に入っており、その劇団から歌舞伎の舞台に子役が借り出されていたことがきっかけで歌舞伎の舞台に出演するようになり、「音羽グループ」という歌舞伎の子役育成集団に所属するようになったとのことです。
1975年1月に歌舞伎座『菅原伝授手習鑑』寺子屋の寺子四郎蔵で「久住良浩」の名で初舞台を踏み、1978年5月に三代目市川猿之助(現・猿翁)さんの部屋子となり、二代目市川猿弥を名乗るようになりました。
市川猿弥さんは自身のインタビューで次のように語っています。
小学校4年生の頃、役者を続けるなら、ちゃんとした方に弟子入りしたほうがいいということになって、師匠の部屋子になったわけ。
出典:BAILA(バイラ)
歌舞伎の名門一門で活躍する市川猿弥さんが、実は血縁のない一般家庭の出身だというのは驚きですよね。
まさに実力と縁だけで歌舞伎の世界に飛び込み、今日の地位を築いてきたといえるでしょう。
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市川猿弥の血縁関係と歌舞伎界での立ち位置は?

出典:スポーツ報知
市川猿弥さんの家系図に血縁関係がないことがわかり、歌舞伎界でどのような立ち位置にいるのか、さらに気になるところです。
ここでは一次情報を中心に、市川猿弥さんの歌舞伎界での立ち位置についてリサーチしていきます!
市川猿弥さんは血縁のない一般家庭出身でありながら、三代目市川猿之助(現・猿翁)さんに認められた部屋子として澤瀉屋一門の重要な一員となっています。
1998年7月には歌舞伎座『義経千本桜』の武蔵坊弁慶で名題昇進を果たし、2009年には重要無形文化財(総合認定)に認定されて伝統歌舞伎保存会会員となっています。
三枚目から敵役、女形まで幅広い役をこなす名脇役として、一門内外から厚い信頼を寄せられている存在です。
歌舞伎の世界は世襲制で代々の家柄によって形成されている一門がほとんどであるため、門閥外からの出世は極めて厳しい中、市川猿之助一門は例外的な存在と言えます。
2021年8月にはミュージカル『エニシング・ゴーズ』に初挑戦し、歌舞伎の枠を超えた活躍も見せています。
2021年8月12日付スポーツ報知のインタビューでは、市川猿弥さんが次のように語っています。
歌舞伎俳優こそ、何でもありですから
出典:スポーツ報知
血縁のない家庭に生まれながら、澤瀉屋一門の屋台骨を支える存在になった市川猿弥さん。
その言葉通り、歌舞伎・テレビドラマ・ミュージカルと多彩な舞台で活躍し続けるその姿は、まさに「何でもあり」の実力派といえるのではないでしょうか。
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まとめ
今回は、市川猿弥さんの家系図が話題!や、血縁関係と歌舞伎界での立ち位置についてもお伝えしました。
市川猿弥さんは一般家庭のご出身でありながら、三代目市川猿之助(現・猿翁)さんに見いだされて澤瀉屋一門の部屋子となられた方です。
血縁のある名門の出身ではないにもかかわらず、重要無形文化財(総合認定)に認定されるほどの実力を身につけ、歌舞伎界での確固たる地位を築かれました。
TBS「VIVANT」への出演をきっかけに一般層からの知名度も大きく上昇し、ミュージカルなど歌舞伎の枠を超えた活動でも存在感を示しています。
これからも「何でもあり」の精神で多方面にご活躍される市川猿弥さんの今後が楽しみですね。
それでは、ありがとうございました!

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